久しぶりのブログです。6月議会も無事に終了しました。一般質問では「判断をする」「方向性を指し示す」ことの重要性を意識しながら、県執行部と論議しました。
河野知事ともかなりの分野でやり取りをしましたが、必ずしも納得できる答弁ばかりではありませんでした。もちろん考え方が違う問題もありますし、知事の立場が十分にわかるテーマもあります。
ただ、今回私が求めたのは、方向性を“明確”に示すということ。宮崎を取り巻く状況は決して単純ではありませんし、また混沌とした時代環境の中で複雑な連立方程式を解くようにしてしか解決できない問題があることもよくわかります。ただそんな中でも「次に向かうべき方向を示す努力」をすることがリーダーの役割ではないかという思いでの一般質問でした。
これからもしっかりと修練を積んで、厳しい指摘の目を持ちながら、積極的な提言ができる力を高めていきたいと思います。興味をお持ちいただける方は、宮崎県議会のホームページで動画を配信していますので、ご覧ください。
さて、今日(7月2日)は、私が所属する民主党にとって大きな分岐点の一日となりました。社会保障と税の一体改革をめぐる関連法案の採決で造反した衆議院議員を中心に衆参で50名の国会議員が離党届を出しました。国会議員それぞれの思いがあり、政治判断があるのでしょうから、私はその是非についてこの場で語る気はありません。ただ民主党に所属する一地方議員として残念な事態であることは間違いありません。
ご存じの方もいるでしょうが、私は毎日新聞政治部時代に、今回の造反・離党運動の中心となった小沢一郎氏の担当記者を2年3カ月務めました。担当に就いたのが2007年参院選で民主党が大勝した直後。政権交代の現実度が一気に高まった時期でした。それから2009年衆院選で政権交代が実現し、同年末に私が毎日新聞を退社する直前まで続きました。政権交代への過程を非常に特殊なポジションでつぶさに見てきたと自負しています。
写真を見てください。2枚目に掲載したのは、2009衆院選の開票日夜、民主党開票センターの様子です。すべての候補者のポスターを会場に張り巡らし、自然と熱気が高まっていたのを思い出します。今日わずかに感傷的な気持ちになったのか、無意識に記者時代の写真データを整理していたら、見つけました。携帯電話のカメラで撮影をしたものなので、画像が悪いですが、中段のやや右側に小沢氏のポスターもありますね。
もう覚えている方はあまりいらっしゃらないかもしれませんが、当時小沢氏は「全国行脚」と称して選挙対策で全国を回っていました。私もこの行脚のほぼすべてに同行取材していました。2枚目の写真に映っている新人・元職の候補者の事務所はほとんど足を運んでいます。
非公開で日程も発表されず、堂々と同行できる取材ばかりではありませんでしたから、必死で行脚予定の情報をつかみ、隠れて取材し、小沢氏が去った後に「(小沢氏が)何を話し、どんな指示をし、何を気にしていたのか」を飛び込みで取材していた時期も短くはありません。3枚目の写真は、記者仲間が撮ったものですが、小沢氏を追いかけながら、原稿にも追われ、寒気が吹きすさぶ冬でも、汗の滴る夏でも時には待機する街角でパソコンを開き、記事を送るような生活。1年間の3分の1は地方にいる状況でしたが、時に東京で、時に大阪で、沖縄で、北海道で、京都で、福岡で・・・、日本中のいたるところで、会社の枠を超え、仕事を終えた番記者同士がビール片手に「今、小沢氏が考えていることは何か」「この行動の意味は何だろう」などと深夜まで熱く議論を交わしていたを懐かしく思い出します。
4枚目の写真も番記者仲間が撮ったもの。東北出張から帰京する最終新幹線で疲れきって眠り込んでいる様子です。休みもほとんど取らず、まさに写真のようにボロボロになりながらも追いかけ続けてきたのは、やはり時代の躍動感を記者としてひしひしと感じていたからだったと思います。まさにこの時に全国を回り、目にしたものが私が取材者から自らが志す側へと転身するきっかけでもあったと思っていますが、その話はまたの機会にします。
前回の衆院選で民主党はマニフェストを掲げて戦い、政権交代が起きました。そのマニフェストの達成度に関して厳しい声があるのは事実です。私は自らが民主党に入った時からマニフェストに関しては、実現したこと、またその本質的な狙いを達成できていることはきちんと示しながら、できなかったことについては、見通しの甘さも含めて、その理由を丁寧に説明し、明確な陳謝も行うべきだと主張してきました。その正直な姿勢こそが、日本の政治に欠けているものだと思っているからです。
そのうえで考えたいことがあります。
政権交代の意義、それはマニフェストの実現だけだったのでしょうか。そこに込められた本質的な意味は、「停滞した政治からの転換」だったのではないでしょうか。そして、停滞した政治からの脱却というのは、この国が抱える本当の状況から目をそむけ、耳触りの良くない話は口にせず、意見の分かれる判断は回避する。このサイクルから抜け出せなくなった政治を変えるべきだという国民の有形無形の意識だったと私は思います。記者時代に感じていた躍動感は、その国民の意識が生み出していたのではないでしょうか。
その役割を今の民主党が十分に果たせているかは、これからも問われ続けることでしょう。
ただ社会保障と税の一体改革は避けられない課題であり、まさに永田町が放置し続けてきた、判断から逃げ続けてきた、その結果が今の惨状という問題です。私はまさにこの問題に結論を出すことが、先ほど述べてきた「停滞した政治」から脱却する一歩だと信じています。もちろん今回の改革が実現してもバラ色の社会保障が実現できるわけではありません。中長期的には当然更なる財源確保の方法を考えなければならないはずです。
この国は長く「利益の分配」に慣れてきました。しかしすでに「負債の分配」の時代に入っています。それは甘言だけを弄してきた日本政治のツケです。
その状況下で、いかにして本当に困っている人の負担をできるだけ低く抑えながら、広く負担を分け合っていくか。そしていかにして再び利益の分配を図れる国を目指すか。いま日本はそんな状況にあります。
政権与党として、少しでも政権を長く維持し、目指すべき社会のあり方を少しでも実現させていく。それは大切なことです。しかし、この問題を前に進めることができなければ、私は民主党が政権を獲った本質的意義すら見失い、再び決断をしない政治へと向かっていくことになるでしょう。そうであれば、私は「民主党が政権を維持すること」よりも大切な問題は当然あると思います。
私は一地方議員に過ぎません。しかし、若い政治家として今までの政治のツケに責任は持てませんが、未来を今見つめようとするこの改革に無関係ではいれません。だからこそ、この日曜日も仲間とともに街頭に立ちました。
7月2日の出来事は、望ましい事態ではありませんでした。しかし新しい民主党が始まる一日にしなければならないと強く感じています。
【渡辺創】