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響く声

P1200248  2月23日。今日は本当に暖かい一日でしたね。車載の室外温度計も20℃を超えていました。春はもうすぐ。そんな気分になりました。

 あちらこちらと走り回った1日でしたが、昼過ぎに宮崎市から国富町へと移動する途中に、宮崎市の「生目の杜運動公園」付近で時間調整も兼ねて一休み。ソフトバンクホークスのキャンプを10分間だけ見学しました。

 空地に車を止め、仲間が昼食代わりのコンビニおにぎりを食べている間に、駆け足で道路を渡り、すぐ近くにあった練習場のフェンスにへばりつきました。一軍が練習するアイビースタジアムから離れたグラウンドでしたが、若手数人が内野ノックを受けていました(写真)。

 先日は、読売ジャイアンツキャンプから帰る方々に向けて街頭演説をしましたが、せっかくこの時期の宮崎ですから、キャンプの空気を肌で感じておきたいものです。

 宮崎の高く、広い空の下、グラウンドに響く若手選手の声。そしてはつらつとした姿に励まされました。キャンプシーズンはまもなく終わりですが、スポーツの種類を問わず、宮崎でキャンプをされた方々が今シーズンも活躍されることを心からお祈りいたします。また裏方やボランティアとして支えられた皆様もお疲れ様です。

 この期間にキャンプ取材で来県し、仕事の合間に事務所を訪ねてくれた新聞社時代の仲間もいました。ゆっくり時間が取れませんでしたが、変わらぬ付き合いをしてくれたことに胸が熱くなりました。ありがとうございました。     渡辺創

 

先日も・・・ですが

P1200132  先日載せたばかりですが、また夕日の写真です。20日夕刻、宮崎自動車道でえびの市に向かう途中に遭遇しました。

 真っ赤な太陽が山に吸い込まれ、みるみるうちに夜が近づいて来る。そんな感じの日暮れでした。

 高速道路走行中の車窓からなので、ピントがあまいのですが、ご容赦ください。  渡辺創

 

緊張

P1200102  おかげさまで忙しい日が続いています。19日夜は、宮崎市のMRTミックで開かれた川村秀三郎代議士(宮崎1区)の国政報告会・パーティに参加しました。川村先生の人柄と期待感の大きさを裏付けるように、会場は大盛況でした。

 ご厚意で壇上にあげて頂き、挨拶をする機会(写真)があったのですが・・・・・緊張しました。多くの皆様の前で話をする機会も少しずつ経験していますが、なかなか慣れませんね。挨拶を終えると、一瞬ほっとした後に、妙なことを言わなかったかな?と、急にドキドキし始めたり。心拍が上がったり下がったりの時間を過ごしています。

 できるだけわかりやすく、自分の考えをきちんと伝えられるように日々精進です。

 この週末は、宮崎市やえびの市などで講演会や懇談会に参加する機会が多く、たくさんの方とお会いしました。人生経験に裏打ちされた貴重な提言や、自らが暮らす街の再興に向けた意気込みなどをうかがうことができ、貴重でかつ楽しい時間になりました。一つ一つの出会いを大切にしてまいります。  渡辺創

夕日

P1200090  2月18日。延岡市の大瀬川です。沈み行く夕日を眺めながら、深呼吸を一つ。今日お会いした方々の顔がよみがえります。一つ一つの出会いを大切に、一歩一歩進んでいきます。さあ、明日も頑張ります。          渡辺創

梅が見ごろです

P1200064_2  宮崎県内では、梅が見ごろを迎えています(写真)。各地を歩いていると本当によく目につきます。地域によっては、少し盛りを過ぎたところもありますね。昨日訪問した県北のあるお宅では、紅白の梅がそろって咲いており、見事な庭に見とれてしまいました。世の中は冬季オリンピックで盛り上がっていますが、春の足音がだんだん近づいて来ています。

 3年半前に亡くなった祖母が、梅の花が好きでした。梅の絵柄の湯飲みや椀を好んで使っていたのを思い出します。なぜ梅だったのか。2月20日が誕生日だったので、この時期に盛りを迎える梅の花を大切に思っていたのかもしれません。ちゃんと聞いておけば、よかったなと少し後悔しています。

 毎日新聞社への就職が決まった時、祖母は言葉にこそしませんでしたが、相当寂しい思いをしたと思っています。ただ一人の孫で、小さな時から同居していました。県外の大学に進んだうえに、転勤がさだめの新聞社に入れば、もう一緒に暮らすことはないだろうと覚悟したはずです。本当は宮崎で一緒に暮らしたかったのだと思います。

 「創ちゃん、変わりはありませんか。」
 祖母は私が大学進学で宮崎を離れた時から、毎月、必ずこの一文から始まる手紙を送ってくれました。リュウマチがひどく、少し曲がった手で一生懸命書いていたのでしょう。月日が進むにつれて次第に字は大きくなり、読みづらくもなりましたが、手紙は大学卒業後も私が結婚するまで続きました。成人しても、就職しても、祖母にとってはヨチヨチ歩きの時と変わらない心配な孫だったのでしょう。宮崎を遠く離れた孫への祖母なりの優しさだったのだと思います。

 祖母の秘めた願いは、結果的に祖母が旅立った後に叶ったことになります。ただ私が宮崎に戻ったのは、政治の世界を志すという、家族からみれば不安で心配な挑戦となりました。「ヤレヤレ、天国に行っても心配させられるわね」。梅の花を眺めていると、天国からそんな祖母の声が聞こえてきそうです。
 久しぶりに祖母からの手紙を読み直してみようかなと思っています。      渡辺創
 

子牛のせり

P1200009  2月14日。宮崎市であった子牛のせりに初めてうかがいました。宮崎1区の川村秀三郎衆院議員と一緒です(写真)。

 川村議員は農林水産省出身で、林野庁長官から政治の世界に進まれました。私が毎日新聞の政治部記者時代、首相官邸で官房副長官(事務)を担当していたことがありました。当時は小泉内閣です。そのころ、副長官と同じ宿舎にお住まいだったので、朝駆け取材の際にいつもお顔を拝見していました。不思議な縁で、今も大変お世話になっています。

 畜産業が重要産業の一つである宮崎県では、県内で27万7800頭の肉用牛が飼育されており、北海道、鹿児島に次いで全国3位です(データの出典は、少し古いですが「畜産統計」平成19年2月1日現在)。資質のある子牛を買い付けるために、県外からも肥育農家の方が集まるのだそうです。体重が280キロ程度の時期に売買されると聞いていたのですが、確かに体重計測器の表示はほぼそのくらいでした。

 会場では多くの方とお話させていただきました。今後も機会ある度にお邪魔しますので、少しずつ顔を覚えていただければ幸いです。現場の生の声をしっかり聞かせていただけるように努力いたします。              渡辺創 

菜の花

P1190998  北方延岡道路と延岡市中心部を結ぶアクセス道路に面した河川敷沿いの遊歩道(写真)です。最近、ここを何度か通り、毎回見とれていたのですが、13日夕方は時間に余裕があったこともあり、思わず車を止めてもらい、Yシャツ姿のまま写真を撮りに駆け出してしまいました。

 約1キロほどでしょうか。なかなかの見ごたえです。並行する道路は日之影、高千穂、五ヶ瀬さらには熊本方面につながりますから、観光客も多いと思います。心の和む風景です。延岡の市街地入りを前に優しく歓迎されている気分になります。

 不勉強で、昔からこういう光景だったのか、最近の試みなのか私にはわからないのですが、広い意味での街の活性化、イメージ向上に貢献しているのは間違いありません。町おこしというのは、知恵の絞り方、工夫の仕方なんだな・・・・・どことなく懐かしい気持ちになる菜の花の匂いに包まれ、沈む太陽を眺めながら、考えました。

 ウオーキングの方々に混じって、本格的なランナースタイルで走っている人が目立ちました。14日の西日本マラソンの影響でしょうか?東国原知事も走るそうですが、出場される皆さんのご健闘をお祈りします。

渡辺創

感謝

P1190977 2月 13日。西都市での会合などに出席した後、五ヶ瀬町で開かれた民主党・道休誠一郎衆院議員の国政報告会にお邪魔をさせていただきました。

 国会、永田町での奮闘ぶりがよく伝わる報告会でした。講演後の質疑応答でも公共事業のあり方から外交、鳥獣対策まで様々な意見が出され、そのそれぞれに対して丁寧に考えを述べる道休議員の誠実な姿が印象的な1時間半でした。

 道休議員とは、お互い民間出身だったり、宮崎での政治キャリアがない状態から候補予定者になるなど共通項も多く、いつもご意見を参考にさせていただいています。

 多くの方々に支えられての活動です。心から感謝しております。

 また五ヶ瀬町では、たくさんの方にご挨拶をさせていただき、多くのご意見をいただきました。新しい出会いの一つ一つを大切に一歩ずつ進んで参ります。道休事務所スタッフのみなさまにもお世話になりました。ありがとうございました。

渡辺創

手のひら

Ca059t0b_2  宮崎県内で街頭活動を続けています。民主党の宣伝カーを走らせながら、ポイントポイントで車を止め、街頭演説を繰り返します。12日は延岡〜日之影〜高千穂〜五ヶ瀬を往復しました。

 移動中や演説中に手を振ります。記者時代に取材する際にもよく見かけた光景でしたが、白い手袋をするのは、そのほうが目立つからのようです。私もアドバイスを受け、手袋をつけようとしたのですが、手が大きくて入りません[E:coldsweats01]車内にあった軍手で代用です(写真)。まあこちらの方が私らしい気もしましたが。

 手と言えば、政治活動を始めてから、多くの方と握手をさせていただくことが増えました。厚くたくましい手のひら、か細く白い手のひら、人柄がにじむような温かい手のひら、屋外の作業で冷たくなってしまった手のひら・・・。それぞれの方々の人生の歩みや想いが凝縮されているように感じます。

 学生時代に中国・内モンゴル自治区の砂漠の村に2週間ほど滞在したことがあります。その村で親しくなった同じ年の青年がいました。別れる際、握手を交わした彼の手のひら。土色がしわにしっかりと刻まれ、硬く硬く、家族を背負って懸命に働く手のひらでした。村を離れる車の中で、しばらく自分の手のひらを見つめながら、考え込んだことを思い出します。

 政治家が有権者の皆さんと握手をさせていただくのは、親しみを込めるだけでなく、人生の年輪が刻まれた手のひらを感じ、みなさんの想いを背負う覚悟を改めて自らに問い直す作業でもあると感じている毎日です。         渡辺創