宮崎県内では、梅が見ごろを迎えています(写真)。各地を歩いていると本当によく目につきます。地域によっては、少し盛りを過ぎたところもありますね。昨日訪問した県北のあるお宅では、紅白の梅がそろって咲いており、見事な庭に見とれてしまいました。世の中は冬季オリンピックで盛り上がっていますが、春の足音がだんだん近づいて来ています。
3年半前に亡くなった祖母が、梅の花が好きでした。梅の絵柄の湯飲みや椀を好んで使っていたのを思い出します。なぜ梅だったのか。2月20日が誕生日だったので、この時期に盛りを迎える梅の花を大切に思っていたのかもしれません。ちゃんと聞いておけば、よかったなと少し後悔しています。
毎日新聞社への就職が決まった時、祖母は言葉にこそしませんでしたが、相当寂しい思いをしたと思っています。ただ一人の孫で、小さな時から同居していました。県外の大学に進んだうえに、転勤がさだめの新聞社に入れば、もう一緒に暮らすことはないだろうと覚悟したはずです。本当は宮崎で一緒に暮らしたかったのだと思います。
「創ちゃん、変わりはありませんか。」
祖母は私が大学進学で宮崎を離れた時から、毎月、必ずこの一文から始まる手紙を送ってくれました。リュウマチがひどく、少し曲がった手で一生懸命書いていたのでしょう。月日が進むにつれて次第に字は大きくなり、読みづらくもなりましたが、手紙は大学卒業後も私が結婚するまで続きました。成人しても、就職しても、祖母にとってはヨチヨチ歩きの時と変わらない心配な孫だったのでしょう。宮崎を遠く離れた孫への祖母なりの優しさだったのだと思います。
祖母の秘めた願いは、結果的に祖母が旅立った後に叶ったことになります。ただ私が宮崎に戻ったのは、政治の世界を志すという、家族からみれば不安で心配な挑戦となりました。「ヤレヤレ、天国に行っても心配させられるわね」。梅の花を眺めていると、天国からそんな祖母の声が聞こえてきそうです。
久しぶりに祖母からの手紙を読み直してみようかなと思っています。 渡辺創