2020.04.17【日記】いま、知事に思うこと

 国は16日夜、新型コロナウイルス感染症を巡って、緊急事態宣言の対象地域を全都道府県に拡大した。 

 対象地域拡大のあり方は、「実情を踏まえてもう少し丁寧に・・・」と正直思った。ただ、困難を極める現状での一つの選択肢ではある。考え方の相違と受け止めて、「責任を持つ」総理が決断した以上、効果を生むにはどうすべきかとのスタンスで考えるしかない(と今は思っている)。

 方向性を判断すべき立場には、必ず一定の批判が伴う。かつて新聞記者として、政治家の判断過程を見つめてきたので、その苦悩は多少なり理解しているつもりだ。難儀なことだが、それでも判断から逃げてはいけないのが政治家であり、そんな存在であることを求められているからこそのトップでもある。だからと言って、独善的であっていいわけはない。合意形成に力を注ぐべきだし、時にはこれまでの判断に対する厳しい評価を自ら行うことも大事だ。そして国民に共感を呼ぶメッセージが不可欠なのだと思う。為政者は、非常時こそ誠実になり、その努力をすべきだと思う。

 ともかく、自らの意見表明に消極的になる必要はないが、私自身が発する批判は「慎重に、自制的に、そして前向きに」と自らの処し方を考えている。ただ、「非常時だから意見や批判をすべきではない」という考えには与しない。様々な主張や指摘があるからこそ、選択肢は集約・洗練されていくのだ。もちろん、一定の時間が経てば、政策判断の妥当性もしっかり検証していきたい。

  と、自らの立場を整理したうえで、昨日から県議会議員として感じていることを記したい。

 

 まず、知事に背負ってほしかったこと。

 対象地域のいきなりの急拡大は、宮崎県のように感染確認が一定数でとどまっている地域では、正直大きな「とまどい」を生んだ。昨晩からかなりの数の行政関係者と話をしたが、その点は共通している。大都市圏や一部地域で感染拡大に抑制が効かない実態は重々承知しているが、「緊張感」を導き出すために地域実情は考慮せず、全てが一括りになったとの印象は否めない。

もちろんGWを前に全国的な人口移動に危機感がある。それが前提なのもわかる。ただ、私たちが抱いた「とまどい」を、国へのメッセージとして知事に表明してほしかった。

 何もやみくもに国に抗えと言っているのではない。

 対象地域になることは、これまで以上に県民生活へ大きな影響を与えることを意味する。つまり、目的はどうであれ、政治決断の結果が「県民に無理を強いる」のだ。そして、これからはその権限と責任を知事が抱えることになる。

 宮崎県は、愛知県のように指定を希望していたわけでもない。国の判断で一方的に指定され、知事が県民生活を制限する権限と責任を持つことになった。その重みを十分に理解しているのなら、「私たちは唯々諾々ではない。覚悟を持って立場に立つのだ」という自治体の矜持を見たかった。そのことを、せめて「とまどいを示す」というレベルででも表現できなかったのだろうかとの思いが残る。

 

 次に、知事に、はっきりしてほしいことがある。 

 今回の対象拡大のポイントは、政府が発令時から唱える「接触の7割減、できれば8割減」という目標の遂行にある。では、この実現を宮崎県内でも求めるのか否か。そのことがはっきりすれば、おのずと打つべき手は見えてくるはずだ。昨日の記者対応、今日の県議会対応を見ていても、その点が実に不明瞭だ。

 休業要請はしないという。現状は、宮崎でもかなりの業種が事実上の休業に近い状態に追い込まれている。そうであれば、何となくの空気感で負担を強いるのではく、「この目標を実現するためなので休業をお願いする」と根拠を示し、「できるだけの保証を国に求める」との強い決意を見せた方が県民の安心は得られる。

 県民に求めるあり様をはっきりさせよう。緊急事態宣言下では、それはあなたの責任だ。

 

 学校休業に関して、宮崎県は県立学校の休業を決めた。市町村立の学校については「市町村の判断に委ねる」という。私は基本的に市町村の自主性を尊重するべきという立場で行動してきた。もちろん、今もその基本姿勢は変わらない。しかし、今までと違い、県は方向性を示し、法的根拠を持って要請・指示することができる立場になったのだ。

 県立学校について「緊急事態宣言を重く受け止めて」休校とするのなら、判断を委ねるという一見正しそうな言葉で「県の考え方をくみ取れ」と忖度を求めるのではなくて、「ここは責任を持つので、5月6日まで同じ判断を要請する」とはっきり方針を示すことが、権限を持つ立場になった責任ではないか。

 県の対応は、フェイズが変わったという認識がかなり曖昧なままなのではないかと危惧する。学校の件が然りだが、市町村の判断に委ねられる状況なら、「緊急事態宣言の対象となったが、今までの状況を大きく変える必要ない。だから学校の判断も市町村次第でいい」と県が責任を持って環境整備すればいい。それなら一定の理解はできる。県の緊急事態宣言に関する認識が都合よく揺れている気がしてならないのだ。

 私は、無暗にハード対応を求めているわけではない。「緊急事態宣言」下になったのだ(なってしまったのだ)。今までと違い、都道府県の責任は格段に重くなる。結果的に被害が大きくなった場合、必要な要請・指示をしなかったことの責任は県にあることになる。この現実をきちんと認識しなければならないし、そのステージの変化を県民に向けて知事が自らの言動できちんと示すことが求められていると強く思う。

 

 知事は、温和で冷静な方だ。実に良識的で、クレバーだともずっと思っている。ただ、どこかで、エッジを効かせないことが物事をうまく回す要諦と思っているのではないだろうか。

 私は、「強いリーダーシップ」というのを振りかざす、もしくはそういうイメージを築こうとする政治家はあまり好きではない。ただ、リーダーシップと「自分が責任を持つ覚悟」というのは、似て非なるものだと思う。

 

 「誰か」ではない。いま知事の姿勢が最も問われているのだと昨晩から考え続けている。

【渡辺創】