出張の報告が続きます。今回は写真説明を軸にしながら、話を進めていきたいと思います。ぜひ写真を見ながら読んでください。
県議会会派「新みやざき」の県外調査は東京の後、宮城県へと向かいました。目的地は、宮崎県が集中的に東日本大震災の被災地支援に取り組んでいる「山元町」。山元町は宮城県の沿岸部南端、福島県と県境を接する人口約1万5000人規模の町です。今回の震災では、10月13日現在で死者614人、行方不明者4人、家屋被害は全壊が2210棟、大規模半壊が524棟など大きな被害を受けた地域です。
宮崎県は、これまでに延べ2200人を超える職員派遣を行い、さらに県教委が234人、高原町や都城市からも職員を派遣しました。私たちが訪問した18日にも2名の県職員が役場で勤務していました。
まず1枚目の写真を見てください。見づらいかもしれませんが、二つの小学校の名前が記されているのがわかるでしょうか。ここは山元町立「山下小学校」(写真奥に横書きで校名が記されています)。元々226人が学ぶ同町内の5つの小学校の一つです。そこに沿岸で大きな被害を受けた「山下第二小学校」(136人)が移転し、一つの学校の中で二つの小学校が運営されています。左手前の縦書きの看板は、津波で浸水した学校から運ばれてきたものです。
この移転してきた山下第二小学校は防波堤から300メートルの場所にありました。津波は約6・2メートルの防波堤を越え、学校を襲いました。新聞報道などでもすでに紹介されていますが、現場の素早い判断で児童たちを車でピストン輸送するなどして子どもたちの命を守った学校です。渡辺孝男校長は、避難後に知らずに児童を迎える保護者に状況を伝えるため、最後まで一人で学校に残りました。津波が襲った学校で図書室の本棚を引っ張り出して、万が一の時にはいかだ代わりにするつもりでいたそうです。翌日自衛隊に救出されますが、その恐怖はおそらく言葉にできないでしょう。責任感と使命感という言葉で済ましてしまっていいのかわかりませんが、子どものことを第一に考えていることがよく伝わる柔和な笑顔が印象的な校長先生でした。
写真2枚目、3枚目をご覧ください。一つの校舎に二つの2年1組があるわけです。白いプレートが山下小、青いプレートが第二小。行事も別々に行います。訪問した18日、第二小は通常授業でしたが、山下小は校外学習から戻ってきたばかりのようでした。
職員室も校長室も二つあります。第二小の校長室は元放送室、職員室は元図書室です。写真4枚目は第二小の職員室ですが、右下にはたくさんの絵本が並んだままで、図書室だった様子がうかがえました。
河野知事の記者会見で発表していましたので、記憶にある方もいらっしゃると思いますが、宮崎県は「みやざき感謝プロジェクト」の一環として、この山下第二小学校に県内産スギ材を使った学習机・椅子「あいちゃん」を送っています。その贈呈式の様子は、山元町の広報誌「広報やまもと」8月号の表紙で紹介されていました。
写真5枚目が、その「あいちゃん」です。高さも数段階で変えられるとのこと。子どもたちの成長に合わせて対応できると先生方も喜んでいました。椅子には、別の団体から送られたという座布団を兼ねた防災頭巾がしっかりと結ばれていました。
二つの学校がともに歩む校舎は、子どもたちの明るい声とはじける笑顔であふれていました。恐ろしい津波を目の当たりにした子供たち・・・。復興に向かう街で、子供たちがたくましく成長していくことを心から祈ります。
【渡辺創】