衆院選について

 今回の衆議院議員選挙では、結果として推薦できる候補者を擁立することができず、大変責任を感じています。選挙戦も最終日となりましたが、後援会の皆様に送付した文書をブログにも改めて掲載させていただきます。

                            10月21日  渡辺創

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 朝夕に少し肌寒さを感じる季節になりました。気づけば10月、政情混乱による大激流の渦に巻き込まれながら、3日に40歳の誕生日を迎えました。

 思えば、32歳で毎日新聞東京本社を退社し、故郷宮崎で政治活動を始めて8年が経とうとしています。この間、2010年参院選を皮切りに、2011年県議選で初当選させていただき、2015年に再選。幾多の皆様の期待と願い、力添えと優しさのうえに歩ませていただいて参りました。政治家として前に進むことは時に辛苦を伴いますが、自分に役割が与えられていることの幸せをかみしめながら日々邁進してきましたつもりです。改めてこの機会に心から感謝申し上げます。

 

 さて、この度、私が所属する民進党の前原誠司代表が解散総選挙を目前に、誕生したばかりの「希望の党」との合流を表明し、大混乱の引き金を突然引きました。衆院選に向けてようやく候補者擁立を済ませたばかりだった宮崎県連にとっては、まさに青天の霹靂。大きな戸惑いを抱えながら「海図なき航海」を迫られました。私も幹事長として選挙責任者の任にあり、一年分の出来事が一日で起きるような急展開の渦中で、まさに翻弄されました。

 

 新聞報道等でもご承知おきかもしれませんが、私たちは「希望の党の支援はできない」という結論に至りました。党本部に反旗を翻す形の選択です。背景には、宮崎県内で既に希望の党として活動していらっしゃる方々との政治的立ち位置の大きな隔たり、さらには「アベ政治を止める」という最低限の一致点すら確認できないという深刻な事情があります。結果として、私たちと袂を分かってでも希望の党での出馬を望んだ候補予定者とは、共に戦うことができなくなりました。報道によると、候補予定者は結局、希望の党の公認を得た後に立候補断念となったようですが、その決定に民進党県連の関与はなく、希望の党内部の事情と推察します。

 

 いずれにせよ、今回の衆院選を巡る対応は、苦渋の選択であり、身を引き裂かれるような苦しみを伴いました。袂を分かった形になった候補予定者だった方は、今も私にとって尊敬する先輩であり、苦しい時にも共に同じ政党の中で奮闘してきた同志です。我が県連の仲間も、その方も言わば前原代表の決断が生み出した大きな矛盾に、歪みに、巻き込まれて翻弄された者同士です。皆様には、候補予定者だった方にもどうか変わらぬご厚情を賜りますよう心からお願い申し上げます。

 

 最後に、民進党の今後は不透明ですが、私自身はまず今与えられている民進党宮崎県連の幹事長としての職責を全うすることに専念します。その先のことは少し時間をかけながら40歳からの道程を考えていきたいと思います。しかし毎日新聞を退社した際に立てた「ふるさと宮崎に中道リベラルの旗を立て続ける」との誓いを失うことは絶対にありません。どうかこれからも引き続きのご指導、ご支援を心からお願いを申し上げ、皆様へのご報告とさせて頂きます。

 

2017年10月6日

宮崎県議会議員(民進党宮崎県連幹事長、同宮崎1区総支部長代行)        渡辺 創