2020.07.24【日記】知事という政治機能

 県内で新たに4人の新型コロナウイルス感染が確認された(7月23日)。22日の3人に続き、県内の感染者数はトータル27人になった。この2日間で7人の増加だ。東京とスケールは異なるが、県民の動揺は大きい。

 まずは感染が確認された方々が重篤化せず、一日も早く社会生活に復帰できることを祈りたい。合わせて、個別の案件に触れることは避けるが、いずれもこれまでのケースより、感染者の「具体的な存在感」や「社会生活のイメージ」が描きやすい形で情報発信される結果になっている。当事者や関係者の精神的負担も計り知れない。必要以上の詮索や流言飛語には注意を払い、誰が当事者になるかわからないことだからこそ、成熟した社会の包容力が試されていると強く感じる。

 そんな状況の中で、首を傾げたくなることがある。昨日(23日)の感染確認を受け、夜間に県も宮崎市も記者会見した。順番に言えば、概ね宮崎市20:00、県21:30開始だ。残念ながら、両会見とも、そこにトップの姿はなかった。ここから私の考えを述べたいが、自らが県議であることを踏まえ、あえて県の姿勢に限って言及するが、事の本質は宮崎市も同じだと思う。

 まず、今の全国的な現状を整理しよう。

〇23日に確認された感染者は全国で981人で二日続けて過去最高を更新中。東京都は366人でこれまでの最高値を大きく上回った。首都圏や大阪、福岡もハイペースが続いている。

〇感染者数の推移を見て国民の大半が「第2波」と思っているのに、政府だけがその状況を認めず、大きな国民移動を促しかねないGOTOキャンペーンを巡る大混乱の中、4連休がスタートした。

 次に宮崎県の現状。

〇医療関係者や県民の努力により、第1波では感染者が低位で推移してきたが、裏返すと感染確認が相次ぐ状態に慣れていない。そんな中で「第2波」とみられる段階で10人の感染確認が続いている。

〇今回確認された感染には、これまで主流だった「県外・海外由来」と断定できないものがあり、さらに家族間でなく、県内における飲食や社会生活で広がったと思われるものがある。

〇感染経路が推定できない「市中感染」を疑わざるを得ないケースがある。

〇濃厚接触者とまで言えなくても、大量の接触者が予想され、かつ「濃厚接触者ではない」接触者から感染が確認されたケースがある。

となる。

 結論から述べれば、昨日の会見には河野知事が出てくるべきだった。なぜなら、大きな局面転換を迎えている可能性が極めて高かったからだ。これまでの新型コロナを巡る記者会見を振り返ると、知事が発表するケースも散見される。この場合は「部長」、この場合は「知事」というような住み分けが明確になされているようには受け止められない。

 仮に住み分けがあったとしても、そのラインを越えてでも昨日の会見は知事が出てくるべきだった。もちろん詳細について知事が答える必要はない。そこは担当部長レベルで十分だが、今の県民の動揺を踏まえて「冷静な行動」と「十分な警戒」を強調するために政治的メッセージを自ら発するのが知事の存在意義のはずだ。

 特に知事は、つい数日前まで国のGOTOキャンペーンに賛意を示し続け、議会からも多くの県民からも「空気が読めない」と冷ややかな目を向けられた。さらに言えば、知事は新型コロナを巡って「県民の心情が掴めていない」との評価が半ば固定化されつつある「深刻な状態」に立っている。と私は感じている。

 観光業の厳しい状況を見れば、大規模な支援策が必要なことは多くの県民が理解している。しかし「このまま突っ走ったら、恐ろしいことになるのではないか」とみんなが危惧している。この空気感を代弁するのも知事の役割であったはずだ。全校一斉休校の際にも、緊急事態宣言入りの際にも、一貫して、この「県民の気持ちを代弁する」という知事が体現すべき「一つの政治機能」を全く果たせずにいる。

 知事は新型コロナ対策の先頭に立つのではなかったのか。

 そして時に私たち県民の思いを代弁し、時に県民に安心や勇気を与え、みんなが共生する社会を築くために先頭を歩くトップではなかったのか。

 蝉の声が聞こえ始めた6時に目が覚め、新聞を開いて知事動静を確認すると、昨晩知事は知事公舎にいらっしゃったようだ。「情報収集や職員への指示」にあたっていたとある。

 経験はないが、トップの孤独と苦悩は想像に難くない。新型コロナ対策で悩みも、いら立ちも、焦りもあったことだろう。

 ただ、昨晩果たすべきだった役割は、情報収集と指示ではなく、自らが表に出て県民に直接語り掛けることだったはずだ。地元民放のユーチューブでの会見中継は視聴者数が続々と増え、5000人を超えていた。

 これまでも知事とリーダーのあり方について、議会などで議論を交わしてきた。私は知事の人柄、良質なリベラルの気質を兼ね備えた姿勢などを基本的に高く評価している。

 だからこそ、言いたくはないが、「残念でたまらない」。
【渡辺創】