長崎への原爆投下から69年目の8月9日は、台風11号の対応に追われた1日でした。
本題に入る前に、終戦から69年目を迎えたこの夏に思うことについては、回を改めて記そうと思いますので、今日は台風と消防団の話・・・。
ゆっくりと進んだ台風11号。宮崎市では9日未明から激しく吹き始め、お昼頃がピークだったでしょうか。夕方には風は強く吹いていましたが、雨はやみ、写真のようなちょっと幻想的な空を目にすることができました。
そんな中、早朝は自分の立て看板(政治活動用の看板)の状況確認に走り、その後、消防団員として午前中から詰所に待機。交代で担当地区内に消防車を走らせ、警戒にあたりました。激しい風雨の中、河川の水位や道路の冠水に目を配り、道路上に散乱する倒木や看板、自動販売機のゴミ箱などを取り除いたり、危険の少ない場所に動かしたりとなかなかのハードワークです。
私は昨年春に消防団に入団した、まだ2年目。それまでは、消防団の集まりに来賓として呼んでもらっていたのですが、自分の暮らす地域の団員が足りないと知り、あまり役に立ってませんが、加えてもらいました。ちなみに、所属は宮崎市消防団大宮分団第1部(花ケ島消防団)です。
入団3日目に初めての火事というスタートでしたが、毎月の定例会に、消防車ポンプの点検、操法大会や各種訓練、歳末警戒出発式などの行事、さらに季節ごとの夜間警戒活動、各地区の防災訓練の手伝いに、地域のお祭りの櫓建てや会場設営の応援、そして本来の役割である火災や災害時の対応など活動内容は多岐に渡ります。
すでに私自身が団員ですから、あまり「自分たちが頑張っている」といったニュアンスのことを書くのは憚られますが、正直なところ「こんなにいろいろなことをやってるんだ!」というのが入団初年度の驚きであり、私が知らなかっただけで、こんな風に地域を支えてくれている人たちがいたんだなという気付きにもなりました。
いま、消防団はどの分団でも団員不足に頭を悩ましています。様々なつながりも広がりますし、人間関係も深まります。農業が本業の団員も、自営業を営む団員も、サラリーマンの団員もそれぞれいます。「暮らしている地域で、何かお手伝いを」とお考えの方はぜひ消防団のドアもノックしてみてください。
【渡辺創】