政治活動を始めて、2度目の春を迎えています。今年も菜の花を眺めながら、宮崎の大地を踏みしめて回る毎日です。
「黄色」というのは、まさにこの色を指すのだろうなぁ〜という鮮やかな色ですが、不思議とよく晴れた朝は、わずかに青みを帯びて、日暮れにはわずかに夕日の赤みを帯びて見えるような気がします。
菜の花は、アブラナとも言います。観賞用のほかに、食用もありますね。3月初旬が出荷の最盛期のようで、2枚目の写真は、宮崎市内の農家で出荷作業を見せていただいた時のものです。普通の菜の花とは、やはり品種が違うのだそうです。お浸しにするとほろ苦く、まさに春の味といった趣。先日、原発事故の影響で基準を超える放射線物質が検出された「かきな」は、「なばな」の親戚のようなもので、北関東では親しまれているようです。群馬県出身の妻は知っていました。
菜の花と言えば、童謡「朧月夜」の歌詞が頭に浮かびます。
菜の花畑に、入日薄れ、見渡す山の端、霞ふかし。
春風そよふく、空を見れば、夕月かかりて、にほひ深し。
小学生のころ、この季節になると、学級花壇が菜の花でいっぱい。小学2年生だったと思います。教室の窓辺の席から授業中に校庭の回旋塔(ぐるぐる回る遊具)を眺めていると、目の前に菜の花畑が黄色のフィルターのように広がり、幻想的な光景でした。授業からの現実逃避が、そのイメージを増幅していたのかもしれませんが、今でもそのやわらかく、優しいイメージがよみがえってきます。
選挙本番も近づき、慌しい日々ですが、菜の花畑の脇を通り過ぎ、そよ風がその匂いを運んで来るたびに、そんなことを思い出す日々です。
東日本では、菜の花畑といえば、4月の風物詩です。大震災はそんな春の喜びさえもおそらく奪ってしまったことでしょう。野の花を眺めながら、まさに人間の営みは、自然とともにあるんだとつくづく感じています。
選挙を目前としたこの時期、候補予定者は目を吊り上げて視野狭く、歩き回ってしまいがちなものです。私も傍目からそう見えているかもしれません。しかし、本来私たちに求められるのは、いかに多くのものに目を向け、その思いを汲み取れることができるかのはずです。
こんな時だからこそ、時には深呼吸をしながら、視野広く、小さな変化に目を向けられる人間でありたいと、自戒を込めながら思っています。
【渡辺創】