15日から宮崎県議会4月臨時議会に伴う一連の日程が始まりました。この臨時議会は、議会内の役職や委員会配置、特別委員会の内容などを決めるためのもので、今年度の議会活動が本格的にスタートすることを意味します。
今春は改選期ではありませんので、大きく議会構成が変わるわけではありません。私の所属する「県民連合宮崎」は今年度も所属6人で第2会派。全体を見渡しても東諸県郡選出の一人会派だった議員が自民党会派入りした以外に会派等の変動はありませんでした。
ただ、私にとっては大きな環境変化がありました。この臨時議会を前に会派内の役員人事があり、会派設立当初から務めてきた幹事長職を同僚の岩切達哉さんにバトンタッチしました。幹事長の仕事は、「会派運営」と「議会内折衝」です。次期衆院選の候補予定者である立場を考慮し、同僚のみなさんが職務を軽減してくれました。会派の会長と政審会長は引き続き、それぞれ満行潤一さんと田口雄二さんが務めます。
私が会派幹事長に就任したのは、県議3年目を迎えたばかりの7年前。県民連合宮崎結成前の「民主党宮崎県議団」の時代にさかのぼります。
宮崎県議会の場合、交渉会派(所属3人以上)の幹事長は同時に議会運営委員会に所属し、議会内の事実上の交渉の場である「幹事長会議」を構成します。幹事長会議というのは、国会で言うところの「与野党の幹事長会談」と「国対委員長交渉」を合わせたような場で、議会内の合意形成のために汗をかくことを求められます。第2会派の幹事長は、諸派側(自民党会派以外)の代表という側面もあるので、特に今開会中の年度初めの臨時議会では、諸派側全体を背負った交渉が必要となり、本音で言うと大変負担の重い仕事です。
7年間という長期にわたって、この役割を務めるのは、県議会の歴史の中でもそう何人もいたわけではないと思いますが(苦笑)、ただ、この7年間を振り返ると、本当にいい勉強をさせて頂いたというのが率直な感想です。
様々な交渉や議会内トラブルの解決、意見書の文面調整など本当に多岐にわたる議会内のあれこれが「幹事長協議」に委ねられます。それぞれの利害が正面からぶつかり合い、お互いの立場は理解しながらも一歩も引けないという場面も少なくありませんでしたし、ともに知恵を絞って解決策を編み出そうとすることで、お互いの信頼を醸成することができた他会派の幹事長もいらっしゃいました。口角泡飛ばすこともありましたが、今となっていい思い出です。
もう一つ、極めて大事なことを学んだのは、議会のルールを徹底して自分自身に叩き込んだことです。住民の皆さんには伝わりづらいことかもしれませんが、議会には先例や積み上げてきた合意形成の方法があります。一見形式的で、まどろっこしい内容もないわけではありません。しかし、その多くのものは議会制民主主義の理念に沿って、少数者の発言機会を担保するものであったり、多数派が乱暴に物事を決めることを防ぐものであったり、地方議会においては執行部の独走に歯止めをかけるためだったりします。宮崎県議会の慣習は、実に民主的で配慮を伴ったものであることを、この7年間で実感することが少なくありませんでした。
もちろん時代の流れに沿った議会自身の改革は極めて重要です。しかし同時に、なぜルールや慣習があり、そのことが守られてきたのかを背景まで十分に想像・理解し、多様な意見の集まる場である議会の健全性を担保することは、我々議会人にとって極めて重要なことです。そのことを肌身で実感することができた7年間でした。
35歳から42歳まで会派幹事長職を務めたことになります。若さに任せて生意気な発言をしたこともあったかもしれません。関係者の皆様、ご迷惑をおかけしたことがあれば、自らの不明を恥じて先にお詫びをしておきますので、どうかご容赦ください(苦笑)。
また、幹事長という役割に付随して務めた、議会運営委員会、広報委員会等でも議会を客観的に見つめる機会をたくさん頂きました。叶わないものも数知れずありましたが、一貫して議会の機能強化、自主的な改革に積極的に関わることができたことは、誇れる歩みだったと思っています。
さて、会派内の役割は変わりますが、県議会議員としての務めはこれまでと変わらず、120%で走り続けますので、今後ともよろしくお願いします。所属委員会等は正式に決定後、お知らせ致します。
【渡辺創】
※写真は、宮崎県議会の幹事長会議が開催される議長応接室の様子です。1枚目写真の奥側中央の席が第2会派の定位置です。2枚目の写真では右側の列の先頭(一番奥)となります。この部屋の写真を撮ったのは初めてでした。